■1. ハイテク企業、ローテク企業。
■2. コマンドZな電卓。
■3. キャラポンな製品。
■4. 他人の感覚で判断できる人、自分の感覚で判断する人。
■5. 自分の感覚でしか判断できない人。
■6. 経営者に求められる感性。
■7. 経営者と企画開発部。
■8. クレーマー、カスタマー。
■9. もっとも強いものづくり。
■10. 既存技術の融合。
■11. 要望のないアンケート。

■ラフィールドの考える「これからの企業と製品」をコラムシリーズとしてお伝えしていきます。
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■11. 要望のないアンケート。

「歩くのが、めんどう。」「どこでもドアが欲しい。」女子中高校生に、日常の不満足をアンケート調査したときの回答である。回答はさらに、「着替えが、めんどう。」「ハミガキが、めんどう。」と続く。渋谷の路上で屯(たむろ)している連中などではない、進学塾に通っている一般的な10代半ばの学生たちの回答である。

これまでにない新しい分野の製品を開発するには、消費者の不満足調査が欠かせない。だが、この消費者調査、そう簡単には新製品に結びつくものではない。なぜなら、消費者自身、何が不満足なのか分からなくなっているのだ。それだけ今の日常は、ものが溢れ、便利過ぎている。冒頭の「歩くのが、めんどう。」「どこでもドアが欲しい。」は、そんな彼女たちの究極の不満足である。

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「今は、消費者に聞き耳を立ててもヒット商品は生まれない。メーカーの、ひとりよがりな企画がヒットを生む。」ある経済雑誌に掲載されていたコメントである。もっともな話だ。手間とコストをかけて消費者調査したところで、ヒット商品に繋がる声は、ほんの僅かに過ぎない。自分の好みで、ひとりよがりな企画をした方が遙かに効率的に思える。だが、ほんとうにそうだろうか。

以前にもご紹介したが、「自分の感覚で判断する人」は、自分自身が消費者そのものだから、常に消費者の意見を聞いていることになる。これなら、あえて消費者調査をする必要がないようにも思える。だが、「自分の感覚で判断する人」の感覚が、実際の消費者とどこまで合致しているかは疑問だ。自分だけしかいいと思っていないこともありえる。つまり、その企画がヒットするかどうかは、ひとりよがりの偶然に頼らざるを得ない。

逆に「他人の感覚で判断できる人」が、消費者の感覚をシュミレーションして企画するするには、膨大な資料や調査が必要となる。ご紹介した消費者の不満足調査のように、要望があるようでない回答ばかりとなってしまう場合もある。しかも、そんな彼女たちのアンケートからすると、たいていの企画が没になってしまうことすらある。

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ここで、前出の女子中高校生たちの感覚を、さらに深めてシュミレーションしてみたい。「歩くのが、めんどう。」「着替えが、めんどう。」「ハミガキが、めんどう。」アンケートの回答を読んだだけでは、ただの無気力な学生の戯言(たわごと)になってしまう。とうてい、新製品の企画に役立ちそうにない。だが、実際の彼女たちの感覚はどうなのだろうか。

アンケートの回答を、彼女たちの感覚の言葉に置き換えてみる。「歩くのは、楽しくない。」「着替えは、楽しくない。」「ハミガキは、楽しくない。」・・・感動の薄い彼女たちの日常が垣間見える。生活に逼迫(ひっぱく)した経験がない彼女たちにとって、楽しいと感じたり感動できる感覚の幅は、ひと昔まえの人々よりずいぶんと狭くなっているようだ。

彼女たちの無気力感に諂(へつら)う必要はないが、彼女たちが楽しいと感じたり感動するものづくりをすればいい訳だ。つまり、「歩くのは、楽しい。」「着替えは、感動。」「ハミガキは、楽しい。」といった企画が必要となってくる。では、「歩くのは、楽しいってなんだろう。」「着替えは、感動って・・・。」「ハミガキは、楽しいって・・・。」を、さらに深く探っていくと・・・。

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「勉強が、めんどう。」「就職が、めんどう。」「生きるのが、めんどう。」今の学生からは、こんな不満足さえ多く聞こえてくる。これらの無気力な社会の声に、これからの企業が貢献していけるとすれば、「勉強は、楽しい。」「仕事は、感動。」「生活は、楽しい。」を、提供していくことかも知れない。



※後日談---なにものにも代え難い感動は、困難な目標の達成感である場合が多い。つまり、難しいことほど、それを成し遂げた感動が大きいと言える。もし、より多くの楽しさや感動を得たいならば、落差の大きい困難を経験する必要がある。「衣食足りて礼節を知る」は、衣食に不自由だった故に、衣食が足りるようになったとき、そのありがたさや感謝の気持ちを知ることができた。だが、生まれたときから衣食に溢れた現代では、およそ気遣いや思いやりなど見かけられない。さしずめ、「衣食溢れて礼節を忘れる」といったところだ。せめて、「若い時の苦労は買(こ)うてもせよ」だけでも現代に通用して欲しい。


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